墓じまいの不安を解消

コラム

「大切な人が亡くなって、初めて知ったこと」——遺族の本音に寄り添う

大切な人が亡くなる――
この出来事は、どんなに想像していても、実際に経験してみないとわからないことばかりです。

「もっと話しておけばよかった」
「こんなに急にいろんな手続きがあるなんて思わなかった」
「供養って、何から始めればいいの…?」

そんなふうに、深い悲しみの中で“やらなければいけないこと”が次々に押し寄せてくる。
それが、現実に直面した遺族の多くが感じる“本音”です。


特に多いのが、こんな声です。

「亡くなった直後は、気が動転していて何をどうすればいいか全然わからなかった」
「葬儀社に任せるだけで精一杯。宗派のことや供養の意味までは考えられなかった」
「四十九日、納骨、一周忌…いつ、何をするべきなのか誰も教えてくれなかった」

身近な人を亡くすという経験は、悲しみと同時に、たくさんの“初めて”に向き合う時間でもあります。
そんなときに、本当に必要なのは「正しい答え」よりも、
「寄り添ってくれる存在」や「相談できる場所」なのかもしれません。


仏教では、亡くなった人を弔うということは、
単に“供養の儀式をこなす”ことではありません。

それは、「残された人が、少しずつ心を整理していく時間」でもあります。
納骨や法要、命日などの節目を通して、
喪失と向き合い、思い出を振り返り、
心のなかでその人との関係を少しずつ“新しい形”へと変えていく。

そうした過程が、「供養」という行いの本質にあるのです。


「何が正解なのかがわからない」
「こんなふうに弔っていいのかな…」
そう感じている方へ、私はお伝えしたいのです。

大丈夫です。心を込めて供養したいと思う気持ちがあるなら、それで十分です。

形式や手順にとらわれすぎず、
「今、自分ができることは何か」
「自分がどう祈りたいか」
というところから始めていいのです。

不安なときは、お寺や僧侶に相談してください。
葬儀のあとでも、命日を迎えてからでも、何年経っていても、
供養は「今からでも」できます。


大切な人を亡くして、はじめて見えてくる世界があります。
その中には、「故人の存在の大きさ」や「感謝の気持ち」だけでなく、
“人が生きる意味”や“つながりの温かさ”といったものも、そっと浮かび上がってきます。

その気づきを、無理に言葉にしなくてもいい。
ただ、手を合わせること。
静かにその人を想うこと。
それが、きっと心の癒しへとつながっていきます。